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年表

 明治06年(1873)10月24日 西郷辞表を提出し、その年の11月10日、鹿児島に帰郷する。
 明治10年(1877)
  01月29日 私学校生徒、草牟田火薬庫を襲撃し、武器弾薬を奪う。
  02月17日 西郷、兵13,000を率い鹿児島を発つ。
  02月19日 鹿児島県暴徒征討令下る。征討総督有栖川宮親王、参軍山県有朋中将、参謀川村純義中将。
  02月21日 薩軍、熊本城を包囲するも、2月25日、激戦のすえ薩軍敗れる。

  03月04月 田原坂の戦い。17日間の激戦のすえ薩軍敗れる。田原坂の戦いを機に薩軍は連戦連敗で敗走する。
  05月28日 西郷、桐野ら宮崎に入り宮崎支庁を軍務所と定める。
  08月15日 起死回生の戦い、延岡和田越決戦で敗れ、西郷は俵野長井村児玉熊四郎宅に逃げる。
  08月16日 西郷、全軍解散を布令し児玉宅裏庭で陸軍大将軍服や関係書類を焼き愛犬二匹を放ち別れる。
         児玉宅は資料館になっており、焼いた場所が残されている。。
         解散令
         「我軍の窮迫、此に至る。今日の策は唯一死を奮つて決戦するにあるのみ。此際諸隊にして、
         降らんと るものは降り、死せんとするものは死し、士の卒となり、卒の士となる。
         唯其の欲する所に任ぜよ」
  8月17日 最後の軍議が開かれ、降伏か、玉砕かの二者択一の重苦しい中、西郷は重い口を開き
        「全軍進んでまず三田井に出、然るに後その方向を決するも晩の内」と決意を表明し、
        午後10時に可愛嶽突囲戦の隊編成が発表される。
         
         最後の軍議、延岡市北川町南州公蟄居跡資料館(児玉熊四郎宅)
         西郷隆盛、桐野利明、河野圭一郎、辺見十郎太、村田晋八、中島武彦、貴島清

  08月18日 夜も明けぬ午前4時、薩軍は可愛嶽突破を決行。西郷に従う者600名。
         この後、宮崎県内の山岳地帯を敗走した。
  09年01日 西郷370名余を引き連れ鹿児島に到着。
  09月10日 城山に本陣を置く。
  09月22日 永訣の酒宴を開く。
  09月24日 「晋どん、もうここらでよかろう」と東を向き、皇居を伏し拝む西郷に
         別府晋介の介錯の大刀が振り下ろされた。
         時に西郷51歳。薩軍戦死者5.000 官軍戦死者6,800