Top 高木原用水路の話
 高木原用水路は、県営給水事業で大正4年に完成した水路で、総延長18kmにおよぶ長い用水路である。しかし、市街地の中心部を流れているために生活汚水の流入や、老朽化による漏水などで、用水路としての機能が低下し、その維持管理費負担が農家経営を圧迫していた。
 そこで、昭和53年に水源を12km下流に移し、ポンプアップとパイプラインでかんがいする県営かんがい排水事業が計画がされ、昭和60年に完成した。高木原用水路は70年に亘る任を終えた。この歴史的に貴重な財産を、後世に伝えるために計画されたのが高木原緑道である。道のあちこちには高木原用水路の遺跡が残され利用されている。また高木原用水路の説明板も設置されている。
 歴史的遺産である水路橋や隧道は現在殆ど取り壊されている。特に萩原川の水路橋は歴史的価値の高い素晴らしい水路橋であっただけに、残念である。
 今、都城市では旧市民会館を残そう運動が展開されているが、高木原用水路遺産とは比較にならないほど価値の低い建物であり、雨漏りのする欠陥だらけの建築物を残すことに意味があるのだろうか。年間の維持費は市民の税金であることを忘れないで欲しい。

 ・高木原用水路は大正元年、当時の宮崎県知事有吉忠一が大淀川の有里から取水する、県営給水事業を計画。
 ・大正3年に 着手し 大正4年に完成。
 ・その後、災害復旧事業やかんがい排水事業で整備。 

工事中の沖水川サイフォン(現在、その一部が見られる。) 当時完成した隧道。現在ウォーキングコース内に復元されている。
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