大河平の名勝地 
名勝地:農村風景・めがね橋・大太鼓橋・享保用水路・頭首工の紅葉・狗留孫大橋・大河平ツツジ
 マップを片手に名勝地を訪ねましょう。(^_^)v
 おこびらコースの魅力のひとつが美しい農村風景が見られることだ。
 こころの原風景などといろいろ言われるが、人に優しい風景であることはまちがない。不景気になり事業効果のみ追求する、悪しき風潮が主流となりつつあるが、農村風景は効果で表すことはできない、長い歴史を経て培われてきたものであることを忘れてはいけないと思う。農村風景の維持には多くの労力を必要とするのものであり、高齢化の進む農村においては何らかの補助が必要であると思う。
 
 めがね橋は、熊本営林局が、川内川最上流の大平宮から吉都線飯野駅まで木材搬出用に建設したもので昭和3年に完成した。50cm角の切石を古代ローマの技術導入により積み上げ造られた。高さ20m、長さ60m、幅2.5mのトロッコ道である。
 当時は軌道が30数キロ敷かれ、直径2.0mにも及ぶ大木が運ばれていたが、自動車の普及により昭和37年に廃止された。現在歩道として利用されている。平成10年、国の登録有形文化財に登録されている。上流側が公園として整備されているが、残念なことに公園化により、めがね橋の景観を壊している。もう少し景観に配慮してほしいものである。 
 毘沙門の滝は、川内川支流の鉄山川にある滝である。1670年頃、この地方に毘沙門寺があり、そこに四天王の一人、毘沙門様がすんでおられたことに由来する滝である。この滝周辺や上流の渓流には遊歩道が整備され、毘沙門岩や夫婦岩などの奇岩を見ることができる。
 
 太鼓橋は1950年(江戸時代)に10×50×50cmの石を積み上げた、用水路兼用農道橋である。この橋は享保用水路の重要な役目を担っている。この橋が完成する以前は、大雨の度に水路が流出していたそうである。上下流側が公園として整備されているが、残念なことに公園化により、めがね橋の景観を壊している。もう少し景観に配慮してほしい。
 享保用水路(6800m)は、川内川上流(フランス山上流約200m)に堰を設け、飯野平野一帯の水田を潤す水路として、享保17年(1732年)に完成した。言い伝えによると、瑞山寺の僧が水利計画を思い立ち、村民の総意を得て、測量器具のない時代、提灯をあちこちに置いて土地の高低差を測り、苦労をして造られた。その後、度々の災害や老朽化により、昭和7年から10年、昭和54年から60年に堰と用水路の大改修が行われた。先人の遺業を忍ぶとき、いつまでも美しい美田を育む用水路であってほしいものである。この水路の水の綺麗さには驚かされた。 
 享保用水路取水頭首工の紅葉
 狗留孫(くるそん)大橋は、県営ふるさと農道緊急整備事業大河平地区(L=1450m)で架橋された橋で平成18年に開通した橋梁である。
 総事業費 3,540,000千円
 橋台 平成13年度 工事費 144,667千円
 橋 脚 平成13年度〜平成14年度
     工事費 1,018、818千円
      P1(H=58m)P2(H=62m)
 上部工 平成15年度着工・平成17年度完成
 工 事 費 1,350,030千円
  橋長 325m(支間割り100m+135m+90m)
 幅員 全幅9.75m 車道6.75m 歩道2m
 桁高 H=8.5m〜4.0m
 上部形式 PC3径間連続ラーメン箱桁
  大河平ツツジは、大河平小学校の正門側道路沿いを100m に渡り見上げるほどの樹高のキリシマツツジの生垣。室町時代から江戸時代にかけてこの地を治めた大河平氏の屋敷跡で、この独特の花色は戦国時代、合戦に敗れた氏族達が流した血の色とも云われ「血潮ツツジ」とも呼ばれている。見ごろは4月下旬〜5月上旬。
※大河平小学校は2008年廃校となりました。寂しい限りです。こびら探検隊などで子供達と交流があったので尚更寂しい・・・・・・・