Back 西内竪棚田の話し
 「西内竪(真幸)棚田」は標高786mの滝下山の中腹にある、0.8haのこじんまりとした石造りの棚田である。この棚田は、熊本藤雄さんと妻のハツ子さんが戦後半世紀をかけて築き上げ守ってきた棚田である。
 
石垣が美しい棚田
 熊本さんのお話しによると、昭和25年、兵役から復員してきた熊本さんを待っていたのは、極度の食料難だった。その飢えを凌ぐため雑木林や杉林の国有林の払い下げをうけ開拓を始められたそうである。開拓は木を切り倒した傾斜地に、近くの山や川から集めた数十万個にもなる石を一個一個運び築き上げた。
 最初は水がないのでヒエ、アワ、陸稲、甘藷などを栽培したが、日照りのため農作物は無惨にも枯れたので、近くの谷川から水を引こうと、国に取水の許可を取ろうとしたがなかなか取れない。何度も窮状を訴えるたところ、窮状をみかねた営林署が取水に同意してくれたたそうである。許可を受け谷川から岩を砕いて水路をつくり、待望の水を引くことが出来たのである。岩を砕いて造った水路が今も使われている。
 熊本さんご夫婦はのこの棚田を守り、棚田で米を作り子供達を育てられたのです。ちなみに熊本さんは大工仕事もされている。
 
熊本さん(奥さんはお留守でお茶をご馳走になりました。)
 熊本さんのお話しによると息子さんが心配して、棚田見渡される場所にライブカメラを設置してご夫婦の様子がわかるようにされているそうです。ジーンとくるお話を伺い、いつまでもお元気に棚田で米を作って欲しいと願いながら棚田を後にした。