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★登山の意味とはじまり |
登山を大辞林で調べると
登山(とざん) :山に登ること。山登り、登山(とうせん):修行のために、僧・修験者などが山に入ること。山上の寺社に参詣すること。と記されている。 |
大辞林には、山に登ることしか記されてなく、登山の目的の云々については記されてない。日本の国土の90%近くは山である。太古の時代から山に生活の糧を求めて登っていたことが容易に想像できる。
山で獣や鳥を狩猟し、ドングリなどの木の実を採取し、食料としてきたのである。樹木は狩猟の道具や住居建設の資材、燃料になったと考えられる。太古の人々は生活のために山に登ったのである。よって登山は太古の時代に始まったのである。 |
★山岳信仰と登山 |
山は太古の人々に食料などの恵みをあたえる反面、噴火や山火事など災いももたらした。太古の人々は山を敬い恐れ祈りの対象とした。山には神が宿ると信じ巨木や巨岩が祈りの対象となった。山岳信仰の始まりである。ひょっとして太古の家族が弁当(肉のかたまり)を背負って山頂を目指したかもしれない。太古の人々も山容の美しさや山頂からの絶景に感動したと信じたい。それだからこそ山岳信仰の対象となったと思う。気高く美しい山ここそ神が宿る山にふさわしい。
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太古の人々は山を畏敬の念をもって祈りの対象としていた。祈りは巨木や巨岩などその山にある特徴的で神秘的な静物が対象となった。いつしか人々の祈りの対象となった山で修験する行者が現れ、神社が建立され祠がつくられた。修験者は次々に山を開山し多くの人々が祈りのために集まるようになった。 |
写真左より 大木の山の上 山頂にある神社 |
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★娯楽登山のはじまり |
修行で登山する僧や行者、祈りのために登山する人々の口から口へ美しい山々の情報が伝達され、その山の風景を見たいがために、山に登り始める。山岳信仰登山から娯楽登山の変遷である。人々が集まることにより宿ができ、温泉が発掘され、山は登るから温泉に入り眺める対象となった。神社も麓に移され、誰でもお参りできるようになり、現代の歓楽街が形成された。
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登山の歴史の本を紐解くと、娯楽登山の始まりは大正年間に外国人の影響で始まったと言われているが間違いと思う。何故なら大正以前に娯楽登山した人間はたくさんいることが容易に想像できるからである。外国人が現代風の登山者らしき装備と服装で登ったのが、登山の始めまりと決めつけるのは甚だ疑問が残る。登山の装備と服装は全く関係ない。富士山登山は江戸時代に始まったとされている。 |
太古の人々も娯楽登山を楽しんだかもしれない。たんなる文献上のことで大正時代と決めつけることには疑問を感じる。美しい山の風景を見たいと思い、子供や奥さんを連れて登山した太古の人々がいたと信じたい。
太古の家族が肉のかたまりを食べながら、皮の水筒で水を飲み風景を眺めている山頂風景を想像すると楽しくなり浪漫的になる。昔の人々は現代人より山に畏敬の念をもって登山をしていたことは間違いない。登山者は山にたいして畏敬の念をもつことが必要である。それにより山に優しい登山ができると思う。
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