祖母山登山記録(北谷登山口までの行程) 写真にマウススを置いてください。説明が見られます。
○行程
  30数年ぶりの祖母登山だ。おぼろげに30年前の祖母・傾山縦走を思い出す。かなりハードであった記憶があるが、定かではない。その当時と現在の登山道具を比較すると雲泥の差がある。ザックやコンロの進歩でそれを思った。当時はガソリンや白灯油ストーブを主流であった。マナスルの白灯油ストーブは倉庫の奥深で冬眠している。

 近々使おうかと目論んでいるが、発火するかそれが問題だ。楽天で見ると今でも販売されており、価格は12,000円くらいだ。火力は強かったし燃費も安いが背負って登る気力はない。これを背負い祖母傾山縦走した、あの頃が懐かしい。

 14時30分、自宅を発ち、国道10号線を北上する。日向あたりで距離優先ルートにカーナビをセットする。門川町の役場近くでカーナビが左折の命令、それに従い国道10号線から388号線に左折する。信号機もない2車線道路で快適なドライブ。ところが途中から離合も困難な狭いカーブの多い道路で、対向車が来ないことを祈りつつ慎重に運転した。北郷村黒木から右折し北方町を目指す。ここからは2車線道路で快適に走れた。

 18時30分高千穂町着、予想より早く着いた。北方町から高千穂町までの道路には、天翔大橋や青雲峡など日本を代表する大橋が架設されいる。時間があればゆっくり橋めぐりも良いかもしれない。橋の詳しい情報は「雲海に架かる橋紀行」にアクセスしてもらいたい。
マナスル白灯油ストーブ天翔大橋
 高千穂町で食料を買い込み一路、三秀台を目指す。当初、ウエストン碑のある三秀台で夜を明かし、夜明けとともに登山口を目指す計画であったが、暗闇で標識を見落とし、熊本県境で引き返す羽目になってしまった。(カーナビで検索できない。) 仕方がないので、北谷登山口で夜を明かすことにする。

 五ヶ所小学校前を右折し、標識を頼りに狭い舗装道路を北谷登山口へ向け車を走らす。人家がなくなり、道は荒れ狭くカーブが多く周りの風景はなにも見えない。ちょと不安になるが祖母山への標識が安心感を与えてくれる。車高の高い車で良かったと思いつつ車を走らした。北谷登山口に明かりが見えた。19時30分着。
北谷登山口トイレと駐車場夕食
○登山口
 先客がおり酒盛りの真っ最中で盛り上がっていた。先客に挨拶し夕食の準備にとりかかる。まず、いつでも寝られるように車のシートを倒しベッドメーキング、テーブルの準備、コンロで熱燗用のお湯を沸かす。夕食はちょっと豪華なコンビニ弁当である。
 
■山の食事・私の信条(簡単楽々が基本)
  @油物はさける。洗うのが面倒、環境にも良くないかも。
  A水で流してトイレットペーパでふいて終わりの食事とする。
  Bインスタント・コンビニ弁当などを多用する。
  C危険なので登山中の飲酒はしない。夜は飲む。(^o^)

  Dゴミは埋めたりせず全て持ち帰る。

 気温は10度くらいか、ヒンヤリして気持ちいい。スルメをかじり、缶ビールを飲む旨い。お湯が沸いたのでワンカップ酒を浸ける。弁当開き、ビールを飲みながら空を見上げると満天の星である。気分最高。ビールを飲み干し燗酒の登場だ。人肌の熱燗、旨い。

 30年前、傾山の山小屋で焼酎を飲んだことを思い出した。肴は缶詰だったような気がするが定かではない。懐中電灯で夜道を歩いたこともあった。縦走路に寝袋ひとつで野宿する猛者にも出会った。そういえば祖母、傾山の山小屋、ボロだったような気がするが。朝、飯を炊き、コッフェルにつめ縦走したものだ。今でもそのコッフェルは現役で頑張ってる。                                         
 思い出に耽っていると、
 「ランタンが明るいですね、どこの製品ですか」 「イワタニです」
 「燃料は、LPGで、3本198円のカセットボンベで、燃料代が安いので助かります」
 「いいですね、カセットボンベは安いから値段は」 「たしか6500円くらい」と説明した。何人か集まりランタンの話になった。

 20時頃、酒盛りグループが片づけを始め、20時30分頃、就寝。急に静かになった。静かに星空を眺め、1本目のワンカップを空けた。弁当を肴に2本目のワンカップを飲む。飯と酒、意外に合う。明日は7時登山開始、昼飯は三秀台でと計画を練る。

 2本目も空き、眠くなったので、片づけ21時30分就寝。